2006年10月11日 (水)

治療話

昨日、友人のWさんと1年ぶりにランチした。

彼女は私より7歳年上の41歳、今月3度目の体外受精を試み、今週金曜日の「判定待ち」だ。

20代で結婚し、3度の流産に涙し、数年の不妊治療。

たまたま同じ病院で不妊治療をしたことがあり、偶然私の病室に車椅子で運ばれてきたWさんは、一目で

「子宮外妊娠の患者さんだな・・」

と私にははっきり分かってしまった。1年ちょっと前の話である。

Wさんの入院が思いがけず長く、不妊治療先も同じことだったことから、すぐに打ち解けることができた。ありがたいことにWさんは私の病気についても深く理解してくださり、入院中は楽しい話をたくさんしてもらった。

Wさんは久びさに会う私を見て、髪がとても伸びたねと屈託無く笑っていた。

イゾラベッラでランチをしながら、お互いの近況報告に花が咲く。

体外受精という治療は、ほぼ1ヶ月間に渡って投薬、連日の注射等・・心身共にハードであることはもちろん、金銭的負担もかなりのものだ。

もちろんそれは「本人が希望して受ける治療」なので、いくら辛くても「癌などの病気の治療」の辛さとは違うのかもしれない。

しかし、おそらく私も病気にならなかったら「妊娠しないつらさ」が一番だったと思うし、子供がいても家庭不和で悩む人も多くいるだろう。家族の病気で悩む人もいれば、誰かに裏切られて心を患う人もいるだろう。

誰かがかつて軽く言っていたが「人生いろいろ」だ。

生きている限り誰にでも悩みはあり、それを比較することは出来ない。

病気だって私の一部だ。自分だけが特別なのではないのだ。

話がそれてしまった。

私はWさんの話を聞きながら、Wさんがこの1年間で3度も体外受精を試みたことを聞いて驚いてしまった。

治療先は別の医院に変えたらしいのだが、そこでの治療は予約が殺到しているために2度目の体外受精が残念な結果に終ったことを夫婦で聞いたその場で「3回目」の予約をしたらしい。

思わず、

「よくあんな大変な治療を、3回立て続けに受けれるね・・。」

と言ってしまった。

私はそう言いながら、自分は本当にダメだな・・とちょっと落ち込んでしまった。

Wさんはそんな私の心の内を見透かしたように、

「誰だって気分が乗らない時もあれば、私みたいにどんどんいける時もあるって。あれだけの治療をしたんだから、色々思うことがあるのは当然。何も気にする必要ないよ。」

と言ってくれた。

Wさんの通院している病院は、とある診察を行っている為に学会から除名処分を受けている。

大変興味深い話をたくさん聞いたのだが、Wさんのプライバシーにかかわる重大な内容が大半なのでここでは書くことができない。

二人して言っていたのだが、生殖医療の進歩はめざましく、代理母の問題もそうであるように法律が追いついていないのが現状だ。

Wさんは、

「カラカラさんが自信を持てるように、私も限界までチャレンジしてみるからねっ!」

と言った。気持ちだけでも十分ありがたかった。

とにかく、皆の願いがそれぞれ叶えばいいのにな、と思う。

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101102 リニューアルした宝塚のアフタヌーンティールーム。

前の方が好きだったかも・・(苦)

101101 左の赤い屋根の建物が宝塚歌劇場。奥は高層マンション。

電車の窓から練習風景が見えることがあります。

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2006年8月21日 (月)

話のつづき

先日の話のつづきです。

先に、仕事についてですが・・。

色々悩むところがあり、先月末に退職しました。たった5ヶ月で辞めるなんて、自分でも驚きですが(笑)どうしても。ここではちょっと理由が書きづらいです。色々応援してくださった方、ごめんなさい。

カラカラは元気ですので、9月にワイハに行ってからまたすぐにでも仕事します。

で、今はちょこっとニート生活を満喫中?です。。あー、あつい。。

実は、不妊治療についてあれこれ書こうと思っていたのですが、どうしても自分の思っていることを素直に書けません。

何度か書きましたが、読み返して結局削除しました。

私がこの件に関して書くと、誰かを一方的に中傷することになり、未だに私は多くのことを許していないのだと気づかされるのです。

そしてその都度悪夢が甦る・・。

以前何かの本で、

「許すということはとても難しいが、それはとても大事なことで、許すことをせず恨みを持ったまま人生を過ごすことはとても哀しいこと」

という趣旨の文章を読んだことがあります。

たしかに「許す」ことが出来ればこんなに楽なことはないでしょう。

私もそろそろすべてを許し、新たな1歩を踏だすべき時に来ているのかもしれません・・。

先日以前通っていた不妊治療専門のクリニックに行って、治療を受けていた医師に会って来ました。

昨年の体外受精直後に発病したこと、化学療法を受けたこと、3度の手術をしたこと‥、今後の治療の可能性等色々話し合いました。

そこでの会話の詳細も書くつもりでいたのですが、やはり書く気持ちになれません。

このままでは、仕事も何もかも中途半端になりそうで良くありません。

しっかりしろよ自分!

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2006年8月17日 (木)

1年半ぶりに・・

以前不妊治療していたクリニックに行くことに。

不妊治療の再開は今のところ未定。

色々聞いてみたいこともあるので・・。

詳細は後日・・。

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2006年1月 4日 (水)

闘病のはじまり

私にとって、この病気(卵巣ガン)が発見されたきっかけは「不妊治療」でした。

ゆえに、先ず「不妊治療」について語ることが必要だと思います。

私達は新婚当初3年ほど、子供のいない共働き生活を満喫しました。しばらく子供はいらないって思っていたほどでした。

そんな私でしたが不妊治療専門クリニックの門を叩き、あらゆる検査をした結果、

「原因不明の不妊」

と診断され、長い治療の中で

「自分は出来にくい体」

と知ってしまったがゆえに、

「出来ないのならいらない」

のではなく

「出来ないのなら方法を尽くして頑張らないと」

という思いにシフトしてしまいました。

「妊娠」がいつの間にか私の「目標」になってしまい、「高い壁」でありつづけ、毎月一度は「落胆と失望」を繰り返す・・時にはなんの落ち度も無い相方をなじり、友人関係までもいびつにし、精神的にも不安定な時間が長く続きました。

何度何度も

「私は本当に子供が欲しいのか?」

「私があきらめたら、この人(相方)が父親になれなくなってしまう」

「(相方がひとりっこなので)お義母さんに孫の顔を見せてあげないと」

「もう治療をやめたい」

と、仕事を辞めてからも自問自答を繰り返す日々が続きました。

人工授精も6回失敗し、気がつけば、治療開始からも3年も経っていました。

そしてこれが最後の治療と決めた昨年1月の体外受精。

その時、左卵巣は卵巣嚢腫(チョコレート嚢胞)になっていたけど、医師のすすめもあって妊娠を優先。左卵巣に溜まった血液を採卵用の針で抜いてみましょう、という医師の言葉を信じ、すべてを治療に託しました。

連日の通院とホルモン注射で、両卵巣は大きく腫れあがり、下腹部が大きく腫れ上がりました。

「体外受精失敗」は、激痛と共に始まった生理で知りました。

その腹痛もクリニックの

「ただの生理痛と思いますから、ピルを飲んで安静にしてください」

という言葉を信じ、自力で歩けなくなるまで自宅で我慢しました。

耐え切れず駆け込んだ先のT市立病院で下された診断は

OHSS、卵巣過剰刺激症候群(不妊治療の副作用)。

ショックで呆然とする私に入院をすすめる医師。

「妊婦さんとは絶対に一緒の部屋にしないでください」

って泣いて訴えたっけ。

結果、具合は一向によくならず、緊急手術したら左卵巣が破裂してお腹中膿だらけになってて、原因はおそらく、左卵巣の血を抜こうとしたときの針についた細菌が感染したのかもしれない・・って。

でもこの手術がなければ、私の「本当の病気」はお腹の奥にかくれたままで、発見が困難な卵巣ガンが、奇跡的に早期で発見されるという幸運に見舞われることもありませんでした。

治療にめげそうになったとき、前の職場のKさんが、かけてくれた言葉。

「子供が欲しい、っていう気持ちがこうやって病から救ってくれたんだから、今まで不妊治療を頑張ったことは間違ってなかったと思うよ。」

失意のどん底にあった私を救ってくれました。

それでも尚、この件は「忘れてしまいたい過去」であり、大きなトラウマとなって長い間私を苦しめました。

本当は、不妊治療の詳細についても記述すべきかと思いますが、今なお「つらい体験」であり、今後の方針も決めかねている状態なので、その点は割愛させていただきます。

後日ゆっくり記述できる日がくれば、そうしたいと思います。

・・・・・・本日のディナー・・・・・・

Renkon れんこんのはさみ揚げ、頂いた干物、味噌汁etc。

なぜか冷凍庫に大量の挽肉があったので、はさみ揚げのついでにミートボールもたくさん作って冷凍しました。相方のお弁当には、しばらくこのミートボールが登場するでしょう(笑)。

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